海外在住者が語る異文化理解⑦ アメリカ編Ⅱ

本シリーズ「海外在住者が語る異文化理解」では、海外で暮らす中で考え方や習慣など文化の違いを感じた経験をお持ちの方にお話を伺い、毎回読み切り形式でお届けします。

※プライバシー保護のため一部内容を変えております。

 

<第7回>

お話を伺った方:Yさん(大学院生(当時)/20代/女性)

 

– 印象に残っている出来事を教えてください。

 

アメリカの大学に通っていたときのことです。

入学してすぐ、授業中に学生がとにかく手を挙げて、発言しようとすることに驚きました。

質問があれば、説明している教授の話を遮ってまで発言するんですよ。

たくさんの生徒が手を挙げるので、授業がなかなか進まない……ということもしょっちゅうでした。

もちろん、授業中に居眠りしている学生もいません。

 

– 当時のお気持ちと、どのように対応したか教えてください。

 

日本で生まれ育ち、授業中は静かに先生の話を聞かなければならないと思っていた私は、アメリカの授業の賑やかさになかなか慣れませんでした。

そうとはいえ、授業中に発言する頻度や内容が成績に影響しますので、私もなるべく手を挙げて発言するように努力していました。

そのままアメリカの大学院に進み、プレゼンテーションをする機会が増えたのですが、人前で話すことが苦手で……。

毎回、自分の出番までずっと緊張していました。

学期の途中からは、少しでも早く緊張から解放されたくて、教授に「自分を最初に指名してください!」と頼んでいましたね。

 

– 当時を振り返って、現在のお気持ちを教えてください。

 

今でも、よくアメリカの大学と大学院を卒業できたなと思います。

様々な授業を受けて、山積みの課題に取り組んで……毎日がチャレンジでした!

「本当に卒業できるかな」と不安になり、落ち込んだことが何度もありました。

あまりに苦しかったので、学生時代に戻りたいなんて微塵も思いません。

現在は通訳として働いており大変なこともありますが、朝から晩までほぼ勉強に費やしていた学生時代の方が、よっぽどつらくて過酷でした。

当時を乗り越えたことが、大きな自信に繋がっています。

今でも学生時代の夢を見るんですよ。

いつも決まって勉強に明け暮れている夢です。

 

– 当時、周囲の方々はどのような反応でしたか。

 

最初は授業中だけでなく、休み時間など友人といるときも気を遣って、疲れてしまうことがありました。

当時ロサンゼルスに住んでいたのですが、カラッとした晴天が多い土地柄なのか、現地の学生も明るくておしゃべり好きな人が多くて。

皆でいるときに無口だと、不機嫌だと思われてしまうんです。

だから「何か言わなくちゃ」と内心焦ることもありましたが、短い相づちや質問をするようにしていたら、身構えずに話せるようになりました。

友人たちも、私は口数が多い方ではないけれど、機嫌が悪いわけでもないと徐々に分かってくれました。

日本に住む家族は、常に応援してくれていましたよ。

ようやく卒業して社会人になったときは、両親が喜んでくれました。

 

– 普段よりも積極的に発言したりアピールしたりすることが必要な環境では、一種の緊張感や焦燥感が生まれますよね。そのような中、必死に努力して、ご自身ができる方法で適応していったことが伝わってきました。お話を聞かせていただき、ありがとうございました。