海外在住者が語る異文化理解③ ヨーロッパ編

本シリーズ「海外在住者が語る異文化理解」では、海外で暮らす中で考え方や習慣など文化の違いを感じた経験をお持ちの方にお話を伺い、毎回読み切り形式でお届けします。

※プライバシー保護のため一部内容を変えております。

 

<第3回>

お話を伺った方:Eさん(大学院生/20代/女性)

 

– 印象に残っている出来事を教えてください。

 

エストニアの大学院に通っていた頃、授業でヨーロッパ中から集まった学生たちと政治に関して議論することが度々ありました。

ヨーロッパの政治の中心は各国の政府や議会ではなくEU(欧州連合)であり、EUの判断が最も重みを持ちます。

いろいろな国から集まった人たちが、価値基準を共有して、同じ視点でひとつの話題について議論している……。

とても興味深い光景でした。

 

– 当時のお気持ちと、どのように対応したか教えてください。

 

EUは政治・経済・文化など、社会の様々な意思決定に加盟国が平等に参加できるシステムです。

それを当たり前とする学生たちの中にいると、日本は他国と協力して何かを決定する経験が乏しいんだな……と、ひしひしと感じることが多かったですね。

各国間の協力政策に関する議論は、なかなか慣れなくて大変でした。

やはり疎外感というか、どれだけ学んでも結局自分は蚊帳の外、という気持ちがぬぐえなくて……。

それでも「せっかくヨーロッパにいるんだから、ここでしか学べないことに取り組もう!」と自分を励ましながら、積極的に議論に参加するようにしていました。

 

– 当時を振り返って、現在のお気持ちを教えてください。

 

この国で暮らしていて、以前ほど疎外感は感じないです。

自分がヨーロッパ出身ではないことも、個性のひとつと捉えられるようになりました。

たしかに日本はヨーロッパの国ではないので、他の生徒たちと同じ視点を持っているとはいえないかもしれません。

でもエストニアで生活するうちに、ヨーロッパにはない日本の良いところもたくさんあると気づきました。

当時の自分に「みんなと違うからといって、みんなより劣っているわけではないよ」と言ってあげたいです。

 

– 当時、周囲の方々はどのような反応でしたか。

 

大学院では通常の授業のほか、英語力向上のためのプログラムにも通っていました。

そこでも疎外感は感じましたが、それ以上に周りとの英語力の圧倒的な差に愕然としました。

毎日劣等感に苛まれながら、学校に通っていましたね。

日本にいる家族や友人は「よく頑張っているよ」と言ってくれましたが、ヨーロッパの大学に通っている友人はいなかったので……。

同じ立場で話したり、共感したりできる相手がほしかったですね。

学校側は語学の面を含め手厚くサポートしてくれて、とても有難かったです。

それでも成績や卒業できるかどうかは自分の頑張りがすべてなので、ずっとプレッシャーを感じていました。

 

– 社会生活の前提が異なると、生活の中の「当たり前」が異なってきますよね。疎外感を感じて寂しくても、ご自身を鼓舞して現地で頑張っている様子が伝わってきました。お話を聞かせていただき、ありがとうございました。