本シリーズ「仕事とライフイベント」では、仕事とプライベートの両立など、悩みながら人生の選択をするビジネスパーソンからお話を伺い、毎回読み切り形式でお届けします。
※プライバシー保護のため一部内容を変えております。
<第9回>
お話を伺った方:Mさん(外資系メーカー/50代/女性)
テーマ:結婚
– 印象に残っている出来事を教えてください。
駐在期間が2~3年のプロジェクトで欧州に赴任したときのことです。
米国資本の会社に勤めており、社内コミュニケーションは英語が中心だったため、赴任地の言葉を話せなくても特に心配もなく仕事に打ち込めていました。
同僚の殆どは、家族持ちのエンジニア。
そんな職場で年齢が近い現地採用のアシスタントと交際するようになり、2年後の帰任時には結婚する意志を固めていました。
その報告に、日本人のプロジェクトマネージャーは激怒。
「駐在員としての自覚がなさすぎる。今後、女性の後輩に与える悪影響を考えたことがあるのか」と叱責されました。
常日頃から大らかに接してくれていた上司からの厳しい叱責に、大きなショックを受けました。
帰国を待ちわびていた両親も寝耳に水で混乱し、「とにかく帰ってこい」の一点張り。
ついには、母親が現地まで説得にやってくるという騒ぎになりました。
– 当時のお気持ちと、どのように対応したか教えてください。
母親を泣かせ、プロジェクトマネージャーの怒りに触れた私は「すごく間違ったことをしているのではないか」と思うようになり、結婚の決意が揺らぎました。
一度帰国して頭を冷やした方が良いのではないか。
それでもまだ彼と結婚したいなら、周りを説得して戻ってくれば良い。
今後、未婚の女性社員を海外に派遣してはならない、という前例を社内につくってしまうかもしれない……。
理性では、一度帰国した方が良いとはっきり分かっているのに、どうしても彼と離れたくなくて思考が停止してしまっていました。
そのとき、直属の先輩だった男性が「たった1度の人生だから、自分で決めれば良い。やり直す時間はある。間違ったら自分で責任を取るだけのことでしょう」とアドバイスをくれました。
この言葉を聞いて、現地に残ることを決めました。
周囲に反対される中で、唯一の味方になってくれた先輩の言葉にすがったのだと思います。
– 当時を振り返って、現在のお気持ちを教えてください。
結婚して20年以上経ちました。
苦しいことがあっても、「あのとき周囲の反対を押し切って結婚したのは私」という思いで乗り越えてきました。
当時の先輩のアドバイスは、結婚生活に限らず人生のあらゆる場面で自分を奮い立たせてくれます。
ただ、私自身も母親になった今振り返ると、まったく周りの愛情を考えない無責任な決断だったな、とは思います。
– 当時、周囲の方々はどのような反応でしたか。
会社は「帰国しないなら現地で雇用を継続しない」とのことだったので、退職しました。
両親には結婚を認めてもらう条件として、「外国人の夫に頼らなくても生きていけるだけの収入を現地で確保すること」を約束したので、結婚して移り住んだ町で再就職し、子どもが生まれてからもずっとフルタイムで働いています。
夫が家事も子育ても全面的に参加してくれるので、ずいぶん助かっています。
でも、夫も私も残業が多かったので、子どもが小さい頃は可哀想でした。
子どもが中学生くらいの頃、「今日も遅くなりそう」と職場から電話をして「急がなくていいよ、道が暗いから事故を起こさないようにゆっくり帰ってきてね」と言われたとき、涙が溢れて……。
泣きながら残業したこともありました。
– 日本を離れて長い年月が経ちましたが、今後も欧州で生活されるご予定ですか。
定年後は公共サービスの行き届いた日本で1年の大半を暮らし、こちらにはバカンスで数ヶ月戻るくらいのペースにしたいと思っています。
日本にいる友人たちから「優しい旦那様との海外暮らしがうらやましい」と言われることもありますが、観光で訪れるのと住むのとでは、全く違います。
日本の生活に慣れていると、こちらでは不便なことも多いですし……。
それでも、休日に欧州の様々な場所を観光できることは良いですね。
私の両親も高齢になるまで、毎年のように友人を連れて遊びに来てくれていました。
– ご両親や職場の方々など周囲の反対を押し切って結婚したご自身に向き合い、現地で旦那様と二人三脚で家庭を築き、仕事を続けてきた覚悟が伝わってきました。ありがとうございました。